臥竜清談第83回 森崎龍郎さん(2019.11.17放送)

第83回目のゲストは、町立幌加内診療所所長の森崎龍郎さんです。
森崎さんは、神奈川県のご出身。漢方医学に興味をもたれたことから進学された富山医科薬科大学医学部を1995年にご卒業され、同大学和漢診療学講座へご入局。和漢診療・内科研修の後、同講座の医員としてご勤務されました。
その後、2003年に総合診療・地域医療を志され、札幌医科大学医学部地域医療総合講座へご入局。2010年には北海道地域医療支援事業により幌加内町国民健康保険病院へ派遣。派遣期間満了後の2014年、幌加内町の強い要請により町職員として同国保病院での勤務を継続されることになりました。そして、2016年、病院再編事業により現職にご就任され、地域医療の最前線でご活躍中です。
今回の番組冒頭では、森崎さんが医学を志され、特に富山医科薬科大学で和漢診療学の道に進まれ一般の医師とは異なる様々な体験をされたことや、次いで札幌医科大学の地域医療総合医学の分野に進まれ、そして幌加内町に赴任されるに至った経緯についてお話を伺いました。
患者さんとの関係性では「近所の方」程度が望ましいとのお考えで、幌加内町における診療として、プライマリーケアを基盤とし、支援病院との連携を図った地域システムを確立されています。今後、プライマリーケアの一層の充実、地域医療を守るための方策についてもお話いただきました。
後半部分では、幌加内町の景観や食の魅力をご紹介いただき、「10年後にドクターとしてどうありたいですか」という質問に、「想像はつかない」との前置きをされた後で「変わらず、今の仕事をしっかりしてやっていけたらいいなと思います」というお言葉で締めくくっていただきました。

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臥竜清談第82回 堰八義博さん(2019.10.20放送)

第82回目のゲストは、札幌商工会議所さっぽろ成長戦略推進特別委員長の堰八義博さんです。
堰八さんは、2004年より15年間、北海道経済連合会副会長として活動され、本年6月には顧問にご就任されています。また、2016年6月には、公益社団法人 北海道観光振興機構会長、またNHK経営委員会委員にもご就任されています。さらに堰八さんは、札幌商工会議所議員を6期、2013年11月には札幌商工会議所さっぽろ成長戦略特別委員長に、2016年11月には同会議所のさっぽろ成長戦略推進特別委員長にそれぞれ就任され、札幌市と連携しながら各種施策を推進中です。
今回の番組では、特に札幌商工会議所のさっぽろ成長戦略推進特別委員長として、医療をコアとした産業の集積、産業クラスターの構築により医療以外の「農業」や「観光」といった産業との連携を図り、札幌市の発展、さらには北海道全域の活性化実現に繋げたいとする堰八さんの取り組みの成果と今後の方向性について具体的にお話いただきました。
中でも当番組(本年7月21日放送)でもご紹介しました札幌医科大学本望教授を中心とした再生医療には最重要施策として大きな期待を寄せられています。番組の中盤では、4月に就任された鈴木直道新知事も登場し、この札幌医科大学の再生医療への支援を含め、道内関連大学と道内外の医療関連企業のマッチングを進め、健康長寿産業のメッカとしての北海道を目指したいとの「堰八構想」の後押しとなるメッセージもお届けいただいております。これまでに例のなかった経済界と医療の現場との結びつきを積極的に進める、新しい切り口で、札幌、北海道がどのように変化していくか、堰八さんの舵取りに注目が集まります。

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臥竜清談第81回 阿部弘さん(2019.9.15放送)

第81回目のゲストは、色彩関係の教育・研修事業、経営者向け塾やコンサルティング業務、さらに健康・美容機器の販売に至るまで幅広い業務を展開する「Future Create」代表の阿部 弘さんです。
阿部さんは、昭和54年に中央大学法学部をご卒業後、北海道拓殖銀行に入行され、各支店・本部等に在職していた平成9年11月に同行が破綻。その後、北洋銀行に再就職され、東京支店副支店長としてご勤務されました。
そして、平成12年12月、アパレル事業への進出のため同行を退職。平成13年3月にブティック「フォーティーフォー(44)」を、同時に色の専門家として「フォーティーフォー(44)カラースクール」を札幌に設立されました。
その後、各種スクールを次々と設立され、美容系職業訓練も多数受託される等、業務が多角化し、カラースクールと合わせると3,000名以上の修了生を社会に輩出するに至りました。
平成29年5月、職業訓練から全面撤退し、現在の「Future Create」を設立。現在は、「仕事・お店繁盛塾」を開講する等、これまで積み重ねたキャリア・知識・実経験を活かし、とくに後進の育成に重点を置かれた業務を遂行されています。
今回の番組では、冒頭、銀行勤務時代を振り返り、現在のお仕事にどのように繋がり、どう活かされているか、何が契機となり起業に至ったのかなど、阿部さんの夢に向った歩みについてお話いただいています。
特にご専門とされている「色」については、ファッションから料理に至るまで、人の心理に大きく影響する「配色理論」をご紹介いただき、また、ある意味で色と共通性がある会社経営の要因を「強み×普通×弱み=利益」という計算式におとし、どの部分を強化することが成長につながるかを具体的に解説いただきました。そこには、「なるほど」と納得させられる、まさに「阿部ワールド」が広がっています。
まとめの部分で語られた今の阿部さんの夢は、ご自身の会社を大きくすることより、若き経営者の力強い応援団として、メッセージを送り続けたいとのこと。教えを受けた塾生の北海道における益々の活躍が期待されます。

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臥竜清談第80回 立崎勝幸さん(2019.8.18放送)

第80回目のゲストは、堅展実業株式会社執行役員 厚岸蒸留所所長、チーフブレンダーの立崎勝幸さんです。
立崎さんは東京都のご出身。茨城大学農学部をご卒業後、大学院修士課程において乳製品に関わるご研究に従事され、1993年大学院修了と同時に乳業メーカーにご就職。研究所や工場において勤務された後、異動された本社資材調達部でのご勤務中に、食品原材料輸入専門商社の堅展実業株式会社の樋田社長と出会われました。
ウイスキー蒸留所への招聘のお話をお聞きになった立崎さんは、蒸留所創業から関われるチャンスは二度とないと考え、転職を決意され、2016年1月同社に入社。秩父市のウイスキー蒸留所にて研修を受けた後の4月に厚岸町に赴任され、その後、アイラ島やジュラ島の蒸留所の視察を経て同社蒸留所初代所長、さらに2018年同社の初代チーフブレンダーに就任されました。その後、スコットランド、スペイサイドの蒸留所の視察にも出向かれ、2019年執行役員に就かれ現在に至っています。
今回の番組では、本場アイラ島のウイスキーに魅せられた立崎さんが厚岸の地でどのようなウイスキーをつくろうとされているのか、売り切れ続出となった第3弾までのシリーズと、続く第4弾「厚岸NEW BORN FOUNDATIONS4」をご紹介いただきながらお話いただきました。また、嗜好飲料としてのウイスキーの存在意義、あるいは将来のウイスキーのあり方についてもお考えを伺いました。
特に近年、若者受けする嗜好飲料が増える中、若い世代に受け入れられるウイスキーづくりに一定の理解を示されるものの、「基本的には変わらない、その中で変えていくことも大切」というお言葉には、本物、本質を追求する「作り手」としての誇りを感じます。立崎さんのウイスキーづくりの原点とされるアイラ島は牡蠣が名産で、ウイスキーをかけて食べる食文化があるとのこと。そのアイラ島と共通性の多い厚岸。名産の牡蠣と厚岸ウイスキーでも試され、「いける」と確信を持たれたそう。地域の新たな食文化とともに、厚岸ウイスキーの世界に向けた飛躍が期待されます。

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臥竜清談第79回 本望修さん(2019.7.21放送)

第79回目のゲストは、札幌医科大学医学部付属フロンティア医学研究所 神経再生医療学部門教授 本望 修 先生です。
本望先生は、平成元年に札幌医科大学ご卒業と同時に同大学医学部脳神経外科に入局。平成3年からはニューヨーク大学脳神経外科研究員、その翌年にエール大学医学部神経内科神経科学・神経再生研究所研究員、さらに平成7年に同研究所講師となられ海外で研究に従事されておりましたが、同年、母校札幌医科大学脳神経外科学講座助手として戻られ、平成12年に同講座講師、平成20年に同講座特任教授、平成23年に現職にご就任されました。
かつては脊髄を損傷すると有効な治療法がなく、重篤な後遺症が残るのはやむを得ないことでしたが、平成の初めから札幌医科大学では、後遺症に悩む患者を救う研究に取り組み、その研究の中心にいらしたのが本望先生です。
今回の番組では、初めに研究中に発見された「骨髄間葉系幹細胞」がもつ神経再生を促す等の多様な働きに注目して、図示により解説。また、ヒト骨髄液から得た「骨髄間葉系幹細胞」を濃縮後に体内に戻す治療法で、体に麻痺のあった脳梗塞患者の麻痺が回復した症例(平成21年)、重度の後遺症の残る脊髄損傷患者を対象とした医師主導治験(平成25年スタート)において重症度が回復した症例等をご紹介しています。
この「骨髄間葉系幹細胞」を用いた治療法は、細胞製剤「ステミラック注」として医薬品メーカー「ニプロ」との共同開発で、その成果の意義・期待から厚労省の「先駆け審査指定制度」に指定、異例のスピードで期限・条件付承認となり、今年5月から健康保険が適用される新しい治療法として世界で初めて札幌医科大学が全国から患者の受け入れを開始しました。
本望先生には冒頭、この画期的治療法の特性や対象となる患者の現状等について詳しくお話を頂戴し、さらに中盤以降では、ご自身が当初、目指した臨床医から基礎医学の研究に方向を転換されたきっかけや、長年の「再生医療」の研究を通して感じられる現在の医療、そして、5年、10年先の医療の姿について、お話を伺いました。
「『自己治癒力』の解明と最大活用」を掲げ、実践されている本望先生には、多くの患者の期待が集まっています。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:札幌医科大学

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臥竜清談第78回 川村惺馬さん(2019.6.16放送)

第78回目のゲストは、(株)東京フラワー社長の川村惺馬さんです。
川村さんは青森市のご出身。小中学校を浅虫で過ごされ、昭和35年に県立青森商業高等学校をご卒業後に上京。(株)ハナトモ・(株)浅草橋生花市場に入社されたのが花との運命的な出会いとなりました。その後、昭和38年に同社を退社して札幌市に移り、(株)東京フラワーを共同で創業。昭和58年に同社の代表取締役に就任され、現在に至っています。
その間、札幌及び北海道生花協同組合の理事、相談役もお務めで、花き業界の重鎮として今もご活躍中です。そのお仕事ぶりに対し、平成9年北海道産業貢献賞が贈られています。
今回の番組では、冒頭、生花業界の現状、例えば、市場における「せり」が消えつつあるシステムの様変わり、厳しい経済環境の影響についてお話いただきました。
世界的な傾向とのことですが、時代とともに変わる業界の形態は、高度成長期、バブル経済とある意味で良き時代の業界を知る川村さんにとって寂しく映っているようです。ただ、生花のもつ普遍的な役割、価値についてご紹介いただき、その中で強調された「命の大切さ」、「アナログ的価値観の大切さ」といったキーワードは、今日の世相への警鐘として非常に印象的でした。途中、「世阿弥の風姿花伝」、棟方志功ゆかりの浅虫温泉旅館「椿館」の話題に、まさに「花を咲かせる」ところは、川村さんの守備範囲の広さと言えましょう。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:株式会社東京フラワー

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臥竜清談第77回 荒川裕生さん(2019.5.26放送)

第77回目のゲストは、学校法人札幌大学理事長の荒川裕生(ひろき)さんです。
荒川さんは函館市のご出身。昭和52年に千葉大学園芸学部をご卒業され、北海道庁に入庁。根室支庁でご勤務されました。主に農地開発部、農政部関係業務に従事された後、平成11年に総合政策部政策室主管、平成18年に企画振興部地域振興・計画局長、平成20年に農政部参事監、平成21年に総合政策部知事室長、平成23年に総合政策部長にご就任。そして、平成25年から平成29年までは副知事をお務めになられました。
副知事退任後の平成29年、現在の学校法人札幌大学理事長にご就任、翌平成30年からはコープさっぽろ会長を兼務されています。
今回の番組では、大学を取り巻く環境が大きく変化し、少子化が急速に進む中で、理事長として50年の歴史をもつ札幌大学を今後、どのような方向に舵取りされるかを中心にお話を伺いました。
特に道内の教育界、経済界などで活躍する大勢のOB・OGを輩出している札幌大学の高い評価を維持し「選ばれ続ける大学」であるために、「社会人力」の修得に重点を置いた「現場の実態を学ぶ」、「グローバル意識を培う」ことを教育現場に求め、実践型教育システムの構築、留学生との交流事業などを進めておられる現状についてご紹介いただいています。
また、高校との連携はもとより、大学同士の連携や留学生を含めた単位互換などを推進する、そして北海道に暮らしながら学ぶことのメリットを伝えることが重要とのお話も頂き、若者世代の道内からの流出を防ぐ意味でも貴重なヒントを頂戴することができました。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:札幌大学

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臥竜清談第76回 山口尚之さん(2019.4.21放送)

第76回目のゲストは、「びらとり和牛」の専門店「くろべこ」オーナーの山口尚之さんです。
山口さんは夕張市のご出身。昭和63年に夕張南高校をご卒業後、横浜の(株)イトーヨーカドーにおいて8年間精肉部門にご勤務され、平成7年に北海道にUターン。平取町の平取温泉(現在のびらとり温泉ゆから)に入職され、14年間、和牛の販売、調理に携わり、その後に「くろべこ」を開業され、今日まで肉の仕事に関わって30年以上が経過しました。
多くの人に「びらとり和牛」を食べていただきたいとの強い思いから、レストランでは、ステーキやハンバーグの提供、さらに札幌のレストランなどに向けて精肉の販売、また加工品の製造・販売も展開されています。
年間約300頭生産される「びらとり和牛」のうち100頭近くを仕入れ、とくにA5ランクに指定された牛は必ず仕入れるという山口さんからは、産地を支えているという自負が感じ取れます。「くろべこ」で食べる、買う「びらとり和牛」の品質は、山口さんのお墨付きといえましょう。
今回の番組では、昭和37年に島根県から繁殖牛が導入された「びらとり和牛」を地元で「生産・飼育・出荷・消費」の体系化、そして今日のブランド化が確立するに至った原動力としてご活躍された山口さんに、「びらとり和牛」の魅力をご紹介いただきました。また、「牛肉輸入の自由化」等迫る課題への対応、あるいは平取町のもう一つの地域ブランドである「びらとりトマト」との連携の方向性など、今後、地域資源としての「びらとり和牛」を地域の元気づくりにどのように活かしていかれるのか、夢を語っていただきました。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:びらとり和牛専門店 くろべこ

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臥竜清談第75回 遠藤稔さん(2019.3.17放送)

第75回目のゲストは、小樽朝里クラッセホテル総料理長・副支配人の遠藤稔さんです。
遠藤さんは小樽市のご出身。昭和58年、15歳で調理師を志し、丸井今井小樽店のレストランで中華料理専門のシェフとしてスタートを切りました。昭和63年、札幌ホテルヤマチに移られてご勤務の後、平成9年、29歳で小樽朝里クラッセホテルに移られ、その後、平成24年に同ホテル総料理長、平成29年に同ホテル副支配人にご就任され、今日に至っています。同時に、小樽あんかけ焼きそば親衛隊、日本中華料理協会小樽支部副支部長、薬膳調理指導員としてもご活躍中です。
今回の番組の冒頭では、小樽名物「小樽あんかけ焼きそば」の歴史や、親衛隊が結成された経緯についてご紹介いただいています。
同ホテルレストラン「シルフィード」の人気No.1メニューとなっている「小樽海鮮あんかけ焼きそば」はご自身のオリジナルメニューですが、市内で100店に及ぶと推定されている提供店のメニューは、それぞれに味が異なる点が「小樽あんかけ焼きそば」の大きな特徴とのこと。単に売り上げだけを問題にするのではなく、観光資源として、地域の活性化に繋がるツールとして活用することを意識されています。
番組後半では、将来の小樽のため日々の業務の中でいかに若手を育てるか、また、ご勤務されているホテルがいかに地域から求められる場所として存在感を増すか、さらに10年後の料理人としてのご自身の姿について、遠藤さんの夢や熱い思いを語っていただいています。小樽市の元気づくりに不可欠な方を、今回の番組で新たにご紹介させていただきます。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:小樽朝里クラッセホテル

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臥竜清談第74回 和田勇人さん(2019.2.17放送)

第74回目のゲストは、ふるさと奥尻島の魅力を“食”を通して発信されている「TAKU円山」オーナーシェフの和田勇人さんです。
和田さんは奥尻島のご出身。平成9年地元の高校をご卒業後、東京の服部栄養専門学校に進み、卒業後の平成11年から札幌パークホテルにて修行。平成21年「TAKU円山」の店長として、平成28年からは「TAKU円山」のオーナーシェフとして、ミシュラン一つ星を獲得されるなど、その人気、実力は各方面から注目を集めています。
今回の番組では、和田さんが中学生の時(平成5年)に北海道南西沖地震が発生した当時の島内の様子やご自身の気持ち、また、その後の復興に伴う島の変化についてお話を伺いました。
和田さんの奥尻島への思いの強さは、父上の和田良司さんが第31代奥尻町長(平成17年~21年)として、歴代の町長と同様、復興に向けて全力を注がれているご様子を身近でご覧になっていたことが根底にあるようです。和田さんの料理へのこだわりも、料理とともにご紹介いただいています。
ポイントは、奥尻島の素材の魅力を、とくに「四季折々の旬」に沿いながら伝えること。また、料理を主役として演出する器のチョイスにも和田さんのこだわりが表れています。奥尻島に数々の作品を残されている世界的彫刻家、流政之氏(平成30年没)も、そのような和田さんの「こだわり」に魅了されたお客様のお一人だったとのこと。
番組の後半では、奥尻島をいかに元気にするか、和田さんの将来の夢について伺っています。ウニ、アワビなど数え切れないほどの特産物の活用とは別に、多くの人が奥尻島に出向く仕掛けとして、島の若者との交流の中から「島あそび」なるものを模索中とのこと。すでに独自の奥尻島ツアーなども企画されている和田さんですが、母上が以前営んでおられたペンションを利用し、「オーベルジュ」を展開したいとのお話には、あらためてふるさと奥尻島への熱い思いを感じました。

この番組は以下の各社のご提供で放送しています。

※ 撮影協力:TAKU円山

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